メロディーが泳ぎだす姿を捉えた動画。

夏ですね。

この夏はまだ海に行ってないですけど。

自転車でルルルと行ってみれる距離なのは幸せです。

前回、呼吸のことを書きました。

今日は、その自然なる呼吸が歌を生み出し、溢れて泳ぎだすようにメロディーが流れ出しているGinasalaの動画をご紹介。

こういうものは言葉の説明をすればするほど嘘っぽく、自分が嫌になっちゃうのですが、それだとブログの意味がないので、頑張ります。

声が生まれる場所というのが私にはあって。

それは胸の奥、真ん中あたりなのでハートセンターと仮に呼んでいます。その位置から後ろの背骨がいつも私の背中凝りのポイントでもあります。

なので、歌を歌う時はここを意識するので、呼吸によって伸縮し体のバランスが整いリラックスしてきます。

Ginaの歌はハートセンターから生まれ広がり漂い香りとなった香水のよう。

メロディーというのは目に見えないのですが、その漂い方はなんとなく蚊取り線香の煙のように漂う姿が見えてくるものです。

それを体で表していると私が感じたのが以下の動画です。

ADIEMUSのコンサートですが、歌うこの子たちは多分調べたところパフォーマンススクールの学生?のようです。足や手を使って、メロディーを持った声が体でどんな風に生まれ踊り、外に出たがり、実際に周りを漂い、そして縮んだり広がったりして遊んでいる様子を見事に!!表現しています。見ているだけで、私の体の中もうずうずしてきますね。

メロディーという歌声はどこかへ向って出すのではないんです。

体の内側から生まれて、広がったり縮んだり固まったりまた伸びたり、まるで子供のように自由に遊んでいるんです。

伝えるために、、、という表現を求められますが、動物や子供たちの無垢な表現に勝るものはないのです。伝えるために何かを作るのは違います。喜びのエネルギーでいれば、勝手に喜びが伝わります。これは体験した人にしか分かりません。余計なことをしない方が伝わる。真実でありながら、勇気のいる行動なのです。

また、リズムを取る時に彼女たちは、足元からのエネルギーを蛇のように揺らしながら螺旋とともに天に向かって揺らして昇らせていきます。指揮者の最後も手の指を天に向けて終わります。

私たちの根本は生きているエネルギーで、

体というのは後付け?のようなものと私は感じています。

エネルギーが体を動かす。

形のないものが、形を動かす。

ただ形があるから、限界を感じる。

でも根本に戻れば私たちは形ないもの。

表現に行き詰まる時は、

この根本に帰ればいいんだと感じています。

彼女たちの手を膝に置いて座ったままを基本パフォーマンスとしたのは、その形あるものが形ないものを表現するジレンマそのもの。

体には形があり、重さが生じ、私たちは飛べない。でも、この形があるから愛する人に触れ温もりも感じることができた。

この儚さを全力で味わっていくのが生きること。

音楽を表現すること、アート全般はそれに尽きる。

この動画は二本とも大好きです。